トンチン私の写真映像体験史

トンチン私の写真映像体験史

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4歳から60年間の写真映像体験のライフヒストリーです。

Photos from トンチン私の写真映像体験史's post 29/05/2022

ララミー牧場
◆ロバート・フラー来日
961年4月17日に来日した際、10万人のファンが殺到し池田勇人首相(当時)にも招かれるなど、一連の社会現象を巻き起こした。後に来日したビートルズでさえ、この様な厚遇は受けておらず、当時の熱狂ぶりが伺える。日本滞在中は吹替担当の久松保夫と行動を共にし、実際の収録現場にも立ち会った。その後「続荒野の七人」に出演
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%BC_(%E4%BF%B3%E5%84%AA)
羽田に到着時、大勢のマスコミとファンで大混乱。
カメラマンの脚立がバタバタ倒れる始末
幸い私は助手の肩車でしたので無事撮影できました。

●出演映画
紳士は金髪がお好き
カラミティ・ジェーン
十戒
続・荒野の七人
●出演テレビ
1959-63 ララミー牧場 121エピソード
1972-1978 エマージェンシー ケリー 128エピソード
1993 ブリスコ・カウンティJr./秘球の伝説

Photos from トンチン私の写真映像体験史's post 28/05/2022

知床五胡ロケ
◆日本航空TVCM
昭和50年(1975)の頃、知床半島撮影に出かけましたが、曇天が多くなかなか晴れません。毎日天気待ちでトランプをして過ごします。
それでも、晴天を見つけて知床五胡へ、ヒグマの目撃や痕跡が頻繁に確認されて、スタッフ4人が腰に鈴を付けての撮影です。

目の覚めるような美しい風景でした。
その頃は観光看板などなく自然のままでした。

Photos from トンチン私の写真映像体験史's post 26/05/2022

テレビ時代劇の監督
◆小野田嘉幹
1947年(昭和22年)に新東宝助監督部に入社。
本名の「小野田正彦」で、黒澤明、稲垣浩、並木鏡太郎、冬島泰三らの作品で助監督を務め、
1958年(昭和33年)、富士映画製作、若山富三郎主演の中篇映画『楠公二代誠忠録』で監督としてデビュー、同年、現在の「小野田嘉幹」に改名し、『人喰海女』を監督した。翌年5作、さらに翌々年の1960年(昭和35年)には4作を監督し、
同年12月8日、『人喰海女』や『女奴隷船』にも出演した同社の女優・三ツ矢歌子と結婚した。
俳優の平田昭彦さんは弟。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E7%94%B0%E5%98%89%E5%B9%B9
●映画作品
『人喰海女』 Hitogui Ama : 1958年 - 「小野田嘉幹」に改名
『裸女と殺人迷路』 : 1959年
『東支那海の女傑』 : 1959年
『日本ロマンス旅行』 : 1959年
『人形佐七捕物帖 鮮血の乳房』 : 1959年
『偽りの情事』 : 富士映画 / 新東宝、1959年
『女奴隷船』 : 1960年
『生首奉行と鬼大名』 : 1960年
『太陽と血と砂』 : 1960年
『女巌窟王』 : 1960年 - 監督・脚本
『女王蜂の逆襲』 : 1961年
『俺は都会の山男』 : 1961年
『お笑い三人組 泣き虫弱虫かんの虫』 : 1961年
●テレビ作品
『鬼平犯科帳』 : NET・東宝、 CX・松竹
松本白鸚から中村吉右衛門まで、監督を担当。末期は監修。
『剣客商売』 : CX・東宝、CX・松竹
加藤剛・山形勲から藤田まこと・山口馬木也(スペシャル版を含む)まで、監督を担当。
『続・木枯し紋次郎』 : CX・C.A.L
『八州犯科帳』 : CX・C.A.L

Photos from トンチン私の写真映像体験史's post 25/05/2022

テレビ時代劇の監督
◆高瀬昌弘
1954年、早稲田大学第一文学部演劇科卒業。同級生に脚本家の上條逸雄、俳優の宇津井健などがいた。同年、東宝撮影所演出部に入社。稲垣浩監督の『宮本武蔵』(1954年)で初めて助監督に付き、以後稲垣浩監督のもとで1965年までの間に20本の助監督を務め、師と仰ぐ。その間に黒澤明監督『隠し砦の三悪人』(1958年)の助監督につき、丸山誠治監督『サラリーマン御意見帖 男の一大事』(1960年)でチーフ助監督に昇進。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%80%AC%E6%98%8C%E5%BC%98
◆東宝助監督のころ
赤い帽子をかぶり"おっちゃん"と呼ばれていました。
●著書
『八っちゃんの撮影所人生』(フィルムアート社、1998年2月25日)ISBN 4-8459-9877-7
編著『日本個性派俳優列伝II 巨優 上田吉二郎』(ワイズ出版、1998年7月25日) ISBN 4-948735-88-4
『我が心の稲垣浩』(ワイズ出版、2000年8 月15日) ISBN 4-89830-036-7
『東京砧撮影所物語 三船敏郎の時代』(東宝、2003年1月15日)ISBN 4-924609-82-X
『鬼平犯科帳人情咄 私と「長谷川平蔵」の30年』(文藝春秋、2004年11月19日)ISBN 978-4-16-765683-6
『東宝監督群像 砧の青春』(東宝、2005年10月1日)ISBN 4-924609-92-7
『昭和千本のドラマたち』(廣済堂出版、2007年11月15日)ISBN 978-4-331-51242-5
●テレビ作品
青春とはなんだ(1966年、日本テレビ)… 12本監督
これが青春だ(1966年‐1967年、日本テレビ)… 21本監督
でっかい青春(1967年‐1968年、日本テレビ)… 21本監督
進め!青春(1968年、日本テレビ)… 7本監督
おやじとオレと (黒沢年雄主演)(1968年、日本テレビ)… 7本監督[4]
鬼平犯科帳 初代松本白鸚版(1969年‐1970年、NET)… 10本監督
はまぐり大将(1970年、日本テレビ)… 7本監督
旗本退屈男 高橋英樹版(1970年 - 1971年 フジテレビ)… 11本監督 
人形佐七捕物帖(1971年 NET) … 10本監督
おらんだ左近事件帖 (1971年 フジテレビ)… 7本監督
飛び出せ!青春(1972年‐1973年、日本テレビ)… 21本監督
剣客商売(1973年、フジテレビ)… 4本監督
太陽にほえろ!(1973年 - 1986年、日本テレビ)… 53本監督
ダイヤモンド・アイ(1973年 - 1974年、NET)… 11本監督
われら青春!(1974年、日本テレビ)… 12本監督
鞍馬天狗 竹脇無我版(1974年、日本テレビ)…4本監督
鬼平犯科帳 丹波哲郎版(1975年 - 1976年、NET) … 6本監督
江戸の旋風(1975年 - 1976年、フジテレビ)… 19本監督
江戸の旋風II(1976年 - 1977年、フジテレビ)… 20本監督
いろはの"い"(1976年、日本テレビ)… 4本監督
華麗なる刑事(1977年、フジテレビ)… 3本監督
江戸の旋風III(1977年、フジテレビ)… 16本監督
江戸の渦潮(1978年、フジテレビ)… 10本監督
江戸の旋風IV(1978年、フジテレビ) … 8本監督
江戸の激斗(1979年、フジテレビ)…10本監督
新・江戸の旋風(1979年 -1980年、フジテレビ)… 12本監督
伝七捕物帳(1979年、テレビ朝日)… 2本監督
西遊記II(1979年、日本テレビ) … 1本監督
猿飛佐助(1980年、日本テレビ) … 3本監督
鬼平犯科帳 萬屋錦之介版(1981年 - 1982年、テレビ朝日) … 20本監督
江戸の朝焼け(1980年 - 1981年、フジテレビ) … 6本監督
旅がらす事件帖(1980年 - 1981年 フジテレビ) … 2本監督
江戸の用心棒(1981年 フジテレビ) … 4本監督
時代劇スペシャル「愛妻武士道」(1981年 フジテレビ)    
幻之介世直し帖 (1981年 日本テレビ) … 2本監督
柳生新影流 (1982年 テレビ東京) … 1本監督
右門捕物帖(1982年-1983年)(1982年 日本テレビ) … 2本監督
時代劇スペシャル「お庭番秘聞 暗殺者」(1983年 フジテレビ)    
時代劇スペシャル「奉行暗殺始末」(1983年 フジテレビ)    
胸さわぎの放課後 (1983年 フジテレビ)
時代劇スペシャル「暗殺者の神話」 (1984年 フジテレビ)
ニュードキュメンタリードラマ昭和 松本清張事件にせまる 第8回「首相の犯罪 石田検事怪死事件」(1984年、テレビ朝日)
流れ星佐吉(1984年 フジテレビ) … 2本監督
暴れ九庵(1984年 - 1985年、フジテレビ)… 7本監督
宮本武蔵 (1984年 テレビ東京)
続宮本武蔵(1984年 テレビ東京)
火曜サスペンス劇場「白昼の囚人」(1984年 日本テレビ)
誇りの報酬(1986年、日本テレビ)… 4本監督
金曜女のドラマスペシャル「現場存在証明」(1986年 フジテレビ)
太陽にほえろ! パート2(1986年、日本テレビ)… 2本監督

Photos from トンチン私の写真映像体験史's post 15/02/2022

前田美波里さん
◆前田美波里さんは1963年、文化学院在学中に東宝が応募した『ミス・ノー・ストリング』で優勝し、東宝現代劇に8期生として入団すると、翌1964年にミュージカル『ノー・ストリングス』で初舞台を踏んだのです。
https://celeby-media.net/I0003253

●取材の記憶
『ミス・ノー・ストリング』コンテストが東京日比谷の芸術座であり取材撮影しました。前田美波里さんが登場すると会場がざわついでダントツのイメージを放ちました。

その後の活躍は皆さんご存知のとおりですが、資生堂ポスターが印象に残ります。1966年の18歳で資生堂のサマー化粧品『太陽に愛されよう』のキャンペーンガールに起用された前田美波里さんは、ポスターが街から持ち去られるほどの反響を呼び、人気を博したのです。

Photos from トンチン私の写真映像体験史's post 14/02/2022

二眼レフカメラ全盛時代
◆二眼レフカメラとは
ほとんどが中判フィルムを利用する縦長の箱型のカメラで、二つの光学系・レンズが縦に並んでいる。下の光学系が撮影用で焦点面にはフィルムがあり、上の光学系がファインダー用で焦点面にはスリガラスがある。両者は同じ焦点距離の写真レンズで連動するピント合わせ機構を持ち、ファインダー用光学系で狙った被写体にピントを合わせると撮影用光学系でもピントが合う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E7%9C%BC%E3%83%AC%E3%83%95%E3%82%AB%E3%83%A1%E3%83%A9
●A(アイレスフレックス)からZ(ゼノビアフレックス)まで
第二次世界大戦直後の1950年頃,日本では中判フィルムを利用する2眼レフカメラが大流行し,100種類を超える二眼レフメーカが乱立した
http://www.tlr66.com/

●私はアイレスフレックスをバイトで買って使いました。
型番は忘れました。

Photos from トンチン私の写真映像体験史's post 13/02/2022

アサヒフレックスI型が未来技術遺産に登録
◆国産初の一眼レフとして1952年に誕生したアサヒフレックスI型が、国立科学博物館の「重要科学技術史資料」(愛称:未来技術遺産)に登録されたのです。
未来技術遺産は、2008年から始まった登録制度で、「科学技術の発達上重要な成果を示し、次世代に継承していく上で重要な意義を持つもの」や「国民生活、経済、社会、文化の在り方に顕著な影響を与えたもの」に該当する資料が選定され、『重要科学技術史資料登録台帳』に登録するというものです。
https://pentaxofficial.com/shirebashiruhodo/2135/
私が都立上野高校2年(1953年)の頃、同校写真部がアサヒフレックスI型を借り受けて試用しました。
国産初の35ミリ一眼レフカメラです。写真部全員が大興奮で試写できましたのを鮮明に覚えています。

Photos from トンチン私の写真映像体験史's post 12/02/2022

初めてのカメラ「パーレット」
竹早中学1年(1949年)の遠足で横須賀の「ペリー提督碑」を撮影したのがパーレットでした。

◆ベスト版「パーレット」
1925年から1946年ごろまで小西六本店、六櫻社が製造した蛇腹折りたたみ式カメラです。1912年に発売されたアメリカイーストマンコダックのVPK(Vest Pocket Kodak)や1919年発売のドイツコンテッサネッテルPiccoletteに範を取る形(コピー)でマイナーチェンジを繰り返しながら生産され、小型軽量で誰にでも撮影出来る簡便さから写真初心者に広く普及したカメラでした。中でもフードを外した単玉レンズによる絞り開放の柔らかい描写や3枚玉のシャープな描写力は愛好家を増やしパーレットを使用者のクラブ組織も設立されました。
https://www.kitamura.jp/photo/tanekiyo/2016/ta296.html

●ベスト版フィルムとは
 幅46 mmのロールフィルムであり、フィルムの裏には遮光用裏紙があって、「スタートマーク」および「コマナンバー」が印刷されている。
 1912年、コダックがヴェスト・ポケット・コダック写真機とともに発表した。新形式のロールフィルムを使用し、蛇腹で折りたたんで「チョッキのポケット」(ヴェスト・ポケット)に入るほどの小型化を図ったフォールディングカメラである同シリーズは安価であったこともあり、1926年まで爆発的に数百万台を製造販売した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/127%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%A0

12/09/2021

【撮影用俯瞰台「イントレ」とは】
折りたたみ式俯瞰台を業界用語で「イントレ」と呼びます。
私は通常6尺を使いました。撮影用は舞台大道具と同じく寸法を"尺"で表します。
http://finefilms-yokohama.co.jp/intore

なぜ「イントレ」なのか?
『イントレランス』(英語: Intolerance)は、1916年に公開されたアメリカ映画である。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9
◆この映画が大量のエキストラを俯瞰撮影したので、俯瞰台「イントレ」の語源です。

Photos from トンチン私の写真映像体験史's post 10/09/2021

【今こそ見たい世界記憶遺産。魂ゆさぶる伝説の写真展『ザ・ファミリー・オブ・マン』】
アメリカの作家・詩人であるカール・サンドバーグの序章によって始まる空間は立体的な構成の中、モノクロームの503枚の写真によって展開されていた。

写真展の名前は『ザ・ファミリー・オブ・マン』。1955年、ニューヨークのMoMA(ニューヨーク近代美術館)の企画展として開催。それを皮切りに世界各国・各都市を巡回し、多くの入場者を動員。日本でも56年に開催され話題となった。
https://news.yahoo.co.jp/byline/teradanaoko/20170508-00070678
昭和31年高校3年の時展覧会を見てカメラマンを志す原点となった写真展です。
買い求めた図録を何回も何回も見つめていました。
図録を見直して原点の確認をしようと考えています。

09/09/2021

【息子と娘をTVCMへ◆東芝と松坂屋】
昭和48年頃、私が制作している東芝クリーナーや
松坂屋のCMに
赤ちゃんや幼児が必要な場面があり、
私の息子や娘を連れて行ったことがあります。
詳しくは覚えていませんが、
微かな思い出です。

オメガ鉄塔建設工事の記録(1996 3)24'15 08/09/2021

【昭和52年東京から直方市移住♦九州電力製作の映画見る】
森田あられ(現もち吉)の取締役として東京の映像プロダクション村田映画から移籍し、直方市感田に住みました。
地元を知りたくて九州電力にでかけてPR映画を借りて拝見しました。
たしか電気配線の話でしたが九州全体のイメージ把握に役立ちました。
◆参考動画
オメガ鉄塔建設工事の記録(1996 3)24'15

オメガ鉄塔建設工事の記録(1996 3)24'15 説明

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