02/09/2026
【日本男子の海外挑戦史・平成編4】
●尾崎直道が米ツアーのシード権を8年間確保、シニアでも挑戦
尾崎直道が米ツアーに本格挑戦を開始したのは、1993(平成5)年だった。
1992年日本ツアーで賞金2位となり、翌93年4月の「マスターズ」に3度目の招待状がきた。当時、マスターズは招待制だった。前年はマスターズに合わせて渡米し、予選落ちに終わった。93年はマスターズ前に3試合をこなしてから乗り込むことにした。
PGATOURサイトによると、2戦目のフロリダ州TPCソーグラス(パー72)で行われた「ザ・プレーヤーズ・チャンピオンシップ(TPC)」の第3ラウンドで68をマークし、首位に5打差の13位につけた。最終ラウンドは前半4つスコアを伸ばして一時3位まで浮上したが、後半失速して通算10アンダーの6位。賞金8万ドル余を稼いだ。
3戦目「フリーポートマクモラン」そしてマスターズとも45位ながら賞金を積み上げた。当時は前年のシード権に相当する額を稼いだ場合、シード選手と同等の資格を与えられる。青木功が米ツアーに本格参戦した時もそうだったが、出場義務試合数をこなす条件もあった。
ゴルフ誌ワッグルのサイトの尾崎直道自伝によると「家族の賛成を得て、米ツアーへの本格的なチャレンジを決めた。賞金王というタイトルが米ツアー出場の機会を増やし、そこで残した成績が米ツアー挑戦という扉を開けてくれた」と話している。
91年に日本ツアー賞金王となり、92年には米ツアー8試合を戦っていた。ここからは「お客さん」ではなく、ツアーメンバー。日本ツアーの顔でもあり、フル参戦とはいかなかったため、日米両ツアーを掛け持ちで戦うことにした。
PGATOURサイトによると、93年は12試合で賞金ランク115位、94年は17試合121位と翌年シード権獲得の125位以内をクリアした。95年は20試合に出場。290,001ドルを稼いで賞金ランク66位に上げたが、96年は22試合で99位だった。
97年8月のビュイック・オープン最終日に16、17番連続バーディーなどで69で回り、通算11アンダーで2位。報知新聞紙によると、5月の帰国時に米ツアー撤退を考えていたというが「米ツアーベストフィニッシュ、本当にうれしい」と話した。同年19試合115位で翌年シード権を確保し、参戦を続けた。
以降、98年17試合121位、99年15試合128位、2000年18試合123位とギリギリではあったが、翌年シード権を確保。01年は17試合で154位に終わって翌年シード権獲得はならなかったが、93年から8年間、日米で戦いながら翌年シード権を取り続けた。優勝には届かなかったが、その間に日本ツアーでは97年ヨネックス広島オープンに勝って永久シード選手となり、99年には日本プロ、オープンを制して日本タイトル4冠を達成、2度目の賞金王にもなっている。
「昔の仲間が誘ってくれるからもう1度米国に行きたい」と、2005年に米チャンピオンズツアー(米シニアツアー)の最終予選で出場権を獲得し、06年5月に50歳を迎えると米シニアツアーに参戦した。11年までフル参戦し、優勝はならなかったが、122試合に出場してトップ10フィニッシュ22回、プレーオフ負けも含めて2位に2回入るなど上位をにぎわした。
(文責・赤坂厚)
※写真は1993年から米ツアーに本格参戦した尾崎直道(Getty Images)