11/08/2026
私が「居合の真理は一つ」と断言する理由
私が「居合の真理は一つ」と断言する理由 先日、久々にFACE BOOKに瀧落の演武動画を掲載したところ、海外の居合道修練者から酷い悪意ある投稿がなされ、それに対する私の投稿に対して、「謙虚さがない」「学ぶ姿勢がない」といった、さまざまなご意見をいただきました。 私の考えや技術を否定的に捉える方がいることは理解しています。人は誰しも、すべての人から理解され、受け入れられるわけではありません。 ただ、なぜ私がこれほど強い言葉で居合について語るのか。その背景を知らなければ、単なる傲慢な人間に見えるのかもしれません。 そこで少し、私が歩んできた道についてお話ししたいと思います。 私は5歳の頃から日本刀に興味を持ち、7歳から剣道を始め、剣道形も学びました。中学生では剣道部に所属しましたが、途中から部活動には顔を出さなくなり、ついには名簿から名前まで消されました。それでも試合になると選手として呼ばれる。今となっては笑い話です。 19歳の頃、それまで集めることに夢中だった日本刀を「どうせなら本当に使えるようになりたい」と考え、無雙直傳英信流の吉岡早龍先生に師事しました。24歳で五段を取得しましたが、その頃から、私の中に大きな疑問が生まれ始めました。 「自分が習っているこの技は、本当に武術として使えるのだろうか?」 特に納得できなかったのが、抜付の一太刀について「これは牽制であり、初太刀で相手を斃すものではない」という説明でした。 私は、それならば実際に検証してみようと考えました。 そこから一年間、ひたすら畳表を相手に、斬撃力を備えた抜付を研究しました。 教えてくれる人はいません。 その頃の私にとって最大の師は、自分が使う一振の日本刀そのものでした。 入射角、刃筋、身体の使い方、力が伝わる方向。さまざまな条件を変えながら、どうすれば無駄なく刀に力を伝えられるのかを繰り返し検証しました。 そして私は、当時自分が学んでいた居合のあり方と、自分が求める「術」としての居合との間に大きな隔たりがあると考えるようになりました。 道場を離れ、当初は「無双直伝英信流町井派」を名乗りました。しかし英信流を名乗る以上、私が検証によって辿り着いた抜付や、私自身は「改変」ではなく「本来あるべき姿への復元」と考えていた形についても、既存の枠組みとの整合性を求められます。 それでは、自分が追究したい居合を突き詰めることができない。 そう考え、英信流の名を離れ、「修心流居合術兵法」として自分の研究と稽古を続ける道を選びました。 その後、ありがたいことにテレビ番組などから声をかけていただくようになり、さまざまな課題に挑戦しました。 時速1440キロで飛来するピンポン球、時速350キロで飛来する直径6ミリのBB弾、鉄パイプや鉄板、舞い落ちる木の葉、細い蕎麦、そして最近では岩まで。 振り返ってみれば、本当にさまざまなものを斬ってきました。 しかし、テレビで紹介されるのはどうしても「何かを斬る町井勲」です。 そのため、私を「ただ物を斬るのが得意な人」と考えている方も少なくないでしょう。 そういう方にこそ、一度私の道場で普段どのような稽古をしているのかを見ていただきたいと思っています。 私が教えているのは「斬ること」ではありません 私の道場では、ひたすら刀や木刀を振りかぶる稽古をさせます。 「振り下ろす」のではありません。 振りかぶるのです。 多くの人は刀を振り下ろすことばかりに意識を向けます。しかし、刀を無駄なく扱うためには身体全体の緩みが必要であり、そのためにはまず正しい振りかぶりを身につけなければならない、というのが私の考えです。 特に肘をどのように緩めるか。 一見すると非常に地味な身体操作ですが、毎日数時間稽古したとしても、本当に身につけるには8年、10年という時間が必要になるでしょう。 私が追究しているのは、見栄えのする形ではありません。 なぜ、その動きでなければならないのか。 なぜ、その身体操作が必要なのか。 相手から実際に力を加えられても、その原理は成立するのか。 そこを徹底的に検証します。 だから私にとって形とは、単に仮想敵を斬る芝居ではありません。 刀という極めて精密な「物差し」を使って、一人でも身体操作を反復して磨くことのできる稽古体系なのです。 「瀧落」を例にすると分かりやすい 先日公開した「瀧落」の動画についても、 「目付けがおかしい」 「無駄な所作がある」 と感じた方がいるでしょう。 既存の現代居合の形を基準として見れば、そう見えることは理解できます。 しかし私は、そこにこそ問題があると考えています。 たとえば岩田憲一氏の居合道教本では、瀧落について「敵が己の鞘を握らんとする気配を感じ……」という趣旨の説明がなされています。 私は、この「気配」という説明そのものを疑いました。 実際に相手がこちらの抜刀を妨害しようとするなら、わざわざ気配を知らせながら近づいてくるでしょうか。 人間の後頭部に目はありません。 ならば「後ろの敵を察知した」という物語から動きを考えるのではなく、実際に鞘を掴まれ、こちらの動きを封じられたところから、身体をどう使えば状況を打開できるのかを検証すべきではないか。 私はそこから瀧落を考えます。 実際に相手に掴ませる。 力を加えさせる。...
私が「居合の真理は一つ」と断言する理由 先日、久々にFACE BOOKに瀧落の演武動画を掲載したところ、海外の居合道修練者から酷い悪意ある投稿がなされ、それに対する私の投稿に対し […]