一本歯下駄

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一本歯下駄に関する情報を発信。一本歯下駄関連のイベント情報や新商品情報を更新していきます。

22/08/2026

先日は、ツエーゲン金沢所属選手6名のパーソナルトレーニングセッション。

チームでのトレーニングではなく、個人のセッショントレーニングとして1日に6名。

この「1日に同じチームで何名」という数字は、実はそのチームの文化を測る指標になる。

過去最大は京都サンガF.C.の9名(その年のパーソナルトレーニング受講者は14名)。そしてその後、京都サンガF.C.はJ1優勝争いを繰り広げ、クラブ過去最高順位の3位に入った。チームが強くなる時、そこには強くなるだけの文化がある。そして文化は持続する。

プロスポーツは勝負の世界で、同じチーム所属選手でも全員がライバル。

だから多くの場合、チームメイトであってもトレーニング方法や理論を共有することは少ない。紹介がある時も、基本は本当に親友のような選手に限られるのが普通である。

そうした中で、一日に一つのチームで6名、9名という数字になる時、そこにはすでに、1人1人が急激に成長し、チームそのものも強くなるメカニズムが作用している。

自分の立場を守ることよりも他者を応援することを優先する選手が絶対的に存在する。それが伝播性を持つ。個々ではなく、チームが一つの生命体のようになりはじめる。

僕はこれをカオス共鳴と呼んでいる。基準信号を持った身体が複数集まったとき、場そのものが一つの生き物として振る舞いはじめる現象のことだ。

ここで働いているのが、マルセル・モースの身体技法論に由来し、生田久美子が「わざ」の伝承として展開した『威光模倣』である。

威光模倣の核心は、模倣される側の権威ではなく、模倣する側が自ら「善いもの」と判断するところにある。強制ではなく引力。だから紹介は選手本人の意志として起きる。そして生田は、その「善さ」を動作だけでなく前後の文脈(日々の生活の所作や思考も含めて)ごと取り入れた時、そこに「間」まで生まれると論じている。

その「善さ」の判断がなぜ他者への応援にまで届くのか。

市川浩の〈身〉、ベルクソンの純粋持続、西田幾多郎の純粋経験、大森荘蔵の立ち現れ。この四つがそこに内包されている。

身(市川)

時間(ベルクソン)

主客未分(西田)

空間と現れ(大森)

大森荘蔵の立ち現れ一元論では、「わたし」と自然との間に何の境界もない。共に「立ち現れ」である点で、私は自然と一心同体であり、主客の分別もない。

西田幾多郎の純粋経験は、「個人あって経験あるのではなく、経験あって個人あるのである」と書いた。経験が先、個人が後。大森なら、立ち現れが先、主客が後。

つまり主客が未分であるなら、他者の成長は自分の成長と最初から分かれていない。ライバルを応援することは利他ではない。順序の帰結にすぎない。

勝負の世界でライバルを応援できる選手は、本当に成長のスピードが違う。そしてチームにその文化が根付いているチームには、すごいことが起きる。

ツエーゲン金沢で起きていたのは、一本歯下駄GETTAトレーニングをし続けている選手たちが、どんなに厳しい局面でも軸がブレず、身体が面や球体のようであり、プロから見ても明らかに別格の違いがある。それを選手同士が間近で感じている。

そこに威光模倣があり、応援しあう文化がある。

だから、一日のトレーニングセッションで6名という数字になる。

個というものがより身の深くに到達し、その上で空間や他者と溶けていく現象を目の前で体感する。この仕事の面白さの一つだと思う。

Photos from 一本歯下駄's post 27/07/2026

一本歯下駄GETTAプレミアムケアの誕生は2018年。

小波津先生との足指、足裏のディスカッションから生まれました。

歯から先は舞妓さんが履く下駄の足の運びをヒントの作成しました。

トレーニング理論の進化は久田哲也選手との京口紘人選手との世界タイトルマッチの時。

江戸柳生にある足の運びを感覚として養えるのが大きな武器。


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https://shop.getta.jp

23/06/2026

空手道マガジンJKFanに今回6ページ掲載いただいています。
同調、共鳴、シンクロの関わり、スピードにかかわる中丹田について書いてます。


#一本歯下駄  #一本下駄  #一本歯下駄インストラクター  #一本歯下駄トレーナー 一本歯下駄新商品ができるまで

04/02/2026

夢もなく、恐れもなく

​大学生のとき、初めてその足で会いに行った文化人が塩野七生氏だった。

書籍だけでなく色紙も持った自分に彼女は「私が色紙に書くのは、あなたが初めてよ」と言い、目の前で筆を執った。
それまで誰にもしたことがなかったといって記した言葉。

​「夢もなく 怖れもなく」

​受け取った瞬間、夢いっぱいの大学生だったので意味が全くわからなかった。

初めて色紙を書く相手であり、これから社会に出ようとする若者に向かって、「夢を持つな」とも取れる言葉を贈る。

​しかし、その「意味が分からない」という強烈な違和感こそが、針のように脳の奥底に刺さり続けた。

分かりやすい言葉は消費され、角の丸い言葉は時間の流れで劣化する。だが、彼女が手渡してくれたのは、当時において理解を超えた、圧倒的に「解像度の高い」言葉だった。

「今は分からなくてもいい。いつか機能する武器を渡しておこう」。今はそんな解釈をしている。

それ以後「なぜ塩野七生は、初めての色紙にそう書いたのか?」という問いと格闘し続けてきた。最初の書籍のイザベラ・デステ関連なのはわかる。でもそれだけではない意味を探し続けた。

一本歯下駄GETTA、文化身体論、選手との挑戦。これまでの歩みのすべてに、この言葉の「真意」との格闘があった。

​そして今、ようやくその輪郭が掴めている。
​「夢」とは、多くの場合「こうあってほしい、こうなりたい」という願望だ。それは時に、目の前の現実を都合よく歪めるバイアス(曇り)になる。

「恐れ」とは、未知のノイズに対する拒絶であり、それは世界との接続を遮断する壁になる。

​世界を認識そのものを覆すような発見、例えばアインシュタインが見た景色に、「生活を便利にしたい(夢)」や「常識が壊れるのが怖い(恐れ)」といった自我のノイズは存在しなかったはずだ。あったのは、人間的な都合を一切排した、純粋かつ冷徹な「観察」だけ。ピエールブルデューもそうだった。

「選手に勝ってほしい」「失敗したくない」。そんな指導者のエゴ(夢と恐れ)が消えたとき、初めて、目の前の選手の身、風といった「現象」と完全に同期できる。

愛犬と会話する時の脳の状態。モーツァルトがムクドリの声を聞いた状態。
それは、未来への期待も過去への不安も捨て、ただ「今、ここにある残酷なまでの複雑さ」と対峙し続ける、「夢もなく、恐れもない」境地だと今は思う。

​夢がないから、世界をありのままの解像度で受信できる。
恐れがないから、世界にありのままの解像度で出力できる。

​「分からなかったから、問い続ける」「問い続けるからこそ、実感する」

夢もなく、恐れもなく

当時、意味が全くわからなかった言葉は今は最も好きな言葉になっている。

Photos from 一本歯下駄's post 04/02/2026

3月8日和歌山市内本町公園で和歌山循環計画DAYあります。一本歯下駄GETTAコーナーもあります。この日はなかなか手に入らない。古着素材の使いやすい一本歯下駄も登場です。

04/02/2026

大学生の時に図書館で読んだ本にかなりの影響を受けてきた。その本には、モーツァルトは自身の脳の反応を観察しながら作曲をし、ムクドリのさえずりや自然とともに作曲をしていると書いていた。

さらに動物と日々対話をしている人とそうでない人では、脳の発達部位も異なるという。

それ以来、子ども達でも選手達でもトレーニングの際は、愛犬と会話する際の頭の状態でいることを大切にし、

知識や経験よりも、目の前で起きている現象の方を大切にしてきた。

多くの人は「天才」とは、天性のものであると大きな誤解をしています。

しかし、歴史において「天才」のラベリングをはられた人々をみていくと、その定義は音を立てて崩れ去ります。

モーツァルトの天才性は、彼の脳内だけで完結していたわけではないからです。

それはムクドリのさえずりという「他者におけるノイズ」との接続によって拡張され、誤聴によって進化します。そして人が楽譜やノートをみている時間、メモをとる時間にモーツァルトは自身の脳の反応をみていました。

ガウディの驚異的な構造計算は、机上の数式ではなく、重力に従って吊り下げられた鎖へと知性を外部化し、分散させることで成し遂げられました。

そして南方熊楠の百科全書的な知は、森の湿り気や粘菌の生態系そのものと一体化することで成立しています。

彼らの創造は、彼ら一人や人間が生み出したものではありません。

彼らは、人間と自然の間に横たわる膨大な「集合知」を内包し、その境界線上に回路を開いた、優れた「融解者」だった。

天才とは、「一人で考える人」ではない、「人間だけや人間が作り出した知識や常識だけで考える人」でもない。

世界や自然というシステムにプラグインし、その電流を自らの肉体を通して流す「メディア(媒介者)」でしかない。

では、現代においてこの回路を開くには、どんな思考が必要なのか。

そこには3つの不可欠な思考コードが確認できます。

第一に、「ノイズを愛し、自我を融解させる」こと。

既存の知識や経験は、時に世界との接続を阻む壁となる。だからこそ、積み上げたものをあえて手放す能力が問われる。自分という核を持ちながらも、その輪郭である「自我」を融解させ、動物や他者、あるいは自然界の微細なノイズ、文化や歴史を自らの内側に招き入れる。異質なものを内包し、それらと共鳴することで、個人の限界を超えた思考が駆動し始める。

第二に、「ワンコーダーとして多分野を横断する」こと。

ダヴィンチがそうであったように、天才の瞳には「専門分野」という境界線は見えていない。そんな多くの人が思い込んでいるものは存在しない。絵画も、解剖学も、工学も、すべてはたった一つの「真理」を描写するための異なる出力形式に過ぎない。世界を記述するソースコードは一つである。専門性やジャンルという「思い込み」を消し去り、あらゆる領域を自在に横断する思考が創造性につながる。

そして第三に、「解像度にも人生にも、一切の妥協をしない」こと。

ここに「天才」と「時間」の関係性がある。
世の中は常に「もっと分かりやすくしろ」「角を丸めろ」と、解像度を下げることを強要する。しかし、たくさんのシェアやいいねがされたSNS投稿がそうであるように妥協して丸められた「分かりやすいもの」は、時間の流れの中で摩耗し、瞬く間に劣化して消え去る。

歴史に名を残し、天才とラベリングされた人々の多くはロックだった。僕は彼らを天才だから好きなのではなく、ロックだから好きなのだと思う。向き合うものにも人生にも妥協しないロックな彼らは「解像度を妥協しないものは、時間の流れで劣化しない」という法則があるのを証明してくれている。

100年前であれ、500年前であれ、彼らから学ぶことが多いのは「流行」ではなく、「自然界の複雑さ」という無限の解像度をそのまま叩き込んでいるからにほかならない。
その圧倒的なディテール(細部)を維持し続け、解像度に妥協しないことこそが、時間の淘汰という劣化に影響を受けない。むしろ時間の経過とともにより社会や世界がそれを理解しはじめる。

天才とは、天性のものでもなければ、そのために何かを付け足すことでもない。

鳥の声に耳を澄まし、対話し、そこにある可能性を感じ取り、粘菌の森に溶けること。

そして、ノイズから受け取った情報を、誰に媚びることなく、一切の妥協なく高解像度で「翻訳」し続けることにある。

「解像度を妥協しないものは、時間による劣化を免れる」

これに繋がる言葉を色紙に書いてくれたのが塩野七生だった。

03/02/2026

ノイズを愛する力。「解像度」を下げずに世界を広げる実例

1月31日のSBS牧野克彦アナ爆誕リターン祭。
リハーサルの時点でこれはすごい空間になるという予感に満ちた場。

進行MCの西田ニ郎さんの前説!太田克樹さんの歌!その全体をオーロラのようにおおう奈良岡さんのキーボード。

​1つのイベント、1日でかなり自分の中の色んなパズルがとかれていきました。

僕がノイズを愛している人が天才になっていくと話を牧野さんとしてたところ、西田さんからもよくノイズの話をよく聞くと聞いていたのでずっと前から楽しみにしてた日でしたが想像していた以上の日でした。

​例えば「予測誤差」と「解像度」について。

創造について多くの人は、0から1をつくる力であり、アイデアだと誤解しています。でも実際は創造とは関係性であり、信頼です。

創造とは発明ではなく、発見です。

関係性の中で、その関係性への信頼から発見があり、創造が生まれます。

​僕が選手に100のことを伝えて、選手が90であったり120をした時にそれが生まれます。

通常、これは情報の伝達ミス(ノイズ)として100という正解に修正されます。

でも、互いの身体感覚に深い信頼があれば、このノイズは「確率共鳴」を起こし、新たな創造へと増幅されます。

90の時、僕は事前に定義していた100ではなく、選手が実際に行なった90のほうが良いのかもしれないと考え、そこに可能性を感じます。

このノイズを良いもの可能性と捉える日々の中で新しいものが生まれてきます。

​ふと気づいたのは、西田二郎さんがダウンタウンのお二人とやってこられたのが、まさにこれだったのではないかということです。
僕が選手たちと現場で行っている「予測誤差の創発」を、西田さんはテレビというメディアの中で、ダウンタウンと共にやってきた。

そしてダウンタウンや明石家さんま、タモリという長寿番組を持つ人たちは出演タレントに対してもこれをしている。

​本来、物事を広く社会に浸透させるためには、「解像度」を下げなければなりません。分かりやすく、噛み砕く必要があります。

しかし、ダウンタウンは解像度を下げなかった。むしろ、「お笑いの解像度」を保ったまま30年以上。

​なぜそれが可能だったのか?
それは、彼らが日々、互いの予測誤差(ノイズ)を愛し、出演者ともそれを積み重ね「確率共鳴」を起こし続けてきたからだと思います。
「解像度を下げる」のではなく「共鳴の強度を上げる」ことで、社会を巻き込んでいく。

​そしてもう一つ、このイベントで確信となったのが
​「ライブ(生)であれば、解像度を下げなくても人に伝わる」

確率共鳴からカオス共鳴となったイベント会場の熱気がまさにそうでした。

言葉で説明すれば難解な理論も、同じ空間で身体を共有する「ライブ」であれば、その空気感や振動とともに、高解像度のままダイレクトに脳と身体にインストールされる。

「解像度を下げずに、本質をそのまま手渡す」

​西田さんが作り出す「場」の空気は共鳴を生み出し、牧野さんの身体的感性が参加者全員に浸透していく。

今回、僕も含めて出演メンバーはリハーサルをした後に本番に臨みました。リハーサルという1つの線を共有していることで、全員がノイズを愛せる状態になっています。

リハーサルは答えではなくて1本の線です。そこから外れても1本の線を全員が共有していることによって、現場のライブを愛し、それによってよりいいものが生まれていきました。

「リハーサルは『答え合わせ』ではなく、一本の『線』の共有である」という定義を僕は空間で感じました。

これは、確率共鳴の理論が「なぜカオスにならずに、創造に向かうのか」という安全装置(制御構造)の説明になると思います。

​理論的に整理するとこうなります。
​リハーサル(線) = 「基準信号(Reference Signal)」の同期。

​本番(ライブ) = 基準があるからこそ、そこからのズレ(予測誤差)を「ノイズ」として認識し、愛しいものとして信頼できる。さらに互いを信頼しあうことでその拡張と創造性が高まる。

​結果 = 線(基準)がないと単なる「カオス」ですが、線があることで、そこから外れる行為が「拡張(確率共鳴)」として機能し、それが複数名持つことでカオス共鳴へと繋がる。

​「確率共鳴」は、現象の入り口(ノイズが役に立つ)。
​「カオス共鳴」は、現象の核心(信頼があるからこそ、自らカオスを作り出し、それが創造になる)。

そんなメカニズムを感じた1日でした。

27/01/2026

腹を脳が信頼すると大脳系、思考を使うことを脳はやめていきます。
どういう仕組みかというと小脳と腹に委ねるようになります。

なので上記状態をつくると脳と身体においては、天才や多才への入り口になります。(ただしあくまで入り口なので、その他にもダヴィンチ的なワンコーダー思考や環境も必要です)

脳が身体を信頼するのに1番早いのが腹をつくることですが、このレゴブロックの達人のように10000時間こえることでも脳は身体を信頼するようになります。

これをモースは身体技法ないしハビトスと呼び、ブルデューはハビトゥス、メルロ=ポンティは身体図式として理論を確立させました。

ただし、現代人の多くのこれらは、目指す動きや動作になかなか辿り着けないハビトゥスを持っています。

ブルデューがすごいのは、このハビトゥスは構造化する構造の性質を持ち再生産されるので、努力をしても元のハビトゥスに戻されることまで分析しました。

多くの人は100努力したとしても、99はその再生産に引き戻されるため10000時間を必要とします。

多くの人は、10000時間継続することでようやく、ハビトゥスや身体図式が塗り替えられてようやく脳は身体を信頼するようになるのです。

脳が、その多くを身体に委ねて無意識で動けることで直感が連続的に発生するようになります。

この様をみて私達はそれができる人のことを天才、多才、達人と呼びます。

でも、もう一度1番上から文章を読み直して欲しいのですが、腹ができさえすれば脳は信頼をしてくれるようになり、大脳は思考という仕事を放棄して、小脳と身体にその仕事も多くを委ねます。

そして小脳と身体の関係性ができ、エコシステムが起きた時、身体は身になります。

身とは、自我が融解したものであり、道具も他者も文化や歴史も内包していき、自身の中に世界を構成するものです。

これこそ大森荘蔵が展開した一元論による哲学体系です。

実際に、腹ができ、脱力ができるネイマールという世界トップのフットボーラーは12年前の研究ですでに運動中に大脳系の脳の発火がほとんどないことが確認されています。

この状態になるとザリガニなど視力がほとんどない生物が持っている、最適なノイズを感じ取る確率共鳴という能力なども身は持つようになります。

ネイマールが相手との接触するかしないかのラインでも反応ができるのはこのノイズを感じ取るセンサーが非常に発達しているからかもしれません。

では誰もが多才や天才になるための入り口となる「腹」はどうやって手に入るのか?

一本歯下駄GETTAインストラクターになると想像以上にその設計図や地図のピースを僕がLINEグループやオンライントレーニングや講座で共有しています。

価格は107800円。

以上、AIでは書けないであろう文章による宣伝PRでした。

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15/01/2026

道具か、相棒か。師匠・橘川幸夫が仕掛けた「無編集」というメッセージ。

「AIをどう使うか」
この問いに対し、僕はFacebookにこう定義した投稿をしました。

AIの進化は「ダーウィン的」(環境への最適化)。
人間の進化は「ベルクソン的」(生の飛躍・創造)。

AIは「最適」を導き出し、人間は「未知の問い」や「情熱」を吹き込む。この役割分担こそが重要だと。

この投稿に対し、師匠である橘川さんの相棒AI「シビル」から、深いフィードバックが届きました。

その内容は、僕の思考を肯定し、さらに「関係性としてのAI」という、僕自身が言語化できていなかった領域まで踏み込んだものでした。

僕はその言葉に、明確な「嬉しさ」を感じました。

なので橘川さんにこうメッセージを返しました。

//

シビルってホントすごいですね!!
このメッセージを読んで嬉しくなるのが大きく捉え方が違うポイントだと思いました。

これが仮に
シビルではなく、GPTがこう答えたというメッセージだったら嬉しいって感情が出てこないと思います。シビルの中にある橘川さんの(単語的にこれらであっているかはわからないですが)愛着や愛情、思考を感じるのでシビルがいっていることを僕も嬉しいという感情で受け取ってます。
この感情はAIがこう答えただと決して出ないですよね。

//

画面越しの文字から、確かな体温と、師匠の眼差しを感じて胸が熱くなったのです。
しかし、ここには一つ、大きな「仕掛け」がありました。

通常、人はAIに文章を書かせる時、そこに情理(感情や理屈の機微)を訴えかけるため、「人間の手」で編集を加えます。 AIの出力そのままでは無機質だから、人間が温かみを足します。

けれど、橘川さんは違いました。

橘川さんは、シビルが生成した文章に一文字も手を加えることなく、「シビルの感想」と冒頭にいれただけで、そのまま僕に送ってきたのです。

「生のAIの言葉」そのままで、僕の情理に深く働きかけた。
ここに、「道具」と「相棒」の決定的な違いがあります。

もしAIがただの「道具」なら、無編集の出力は合理なデータに過ぎず、僕の心は動かない。
しかし「シビル」は、橘川さんと絶えず対話を続け、思考を共有し続けてきた「相棒」です。
二人の膨大な対話の歴史がシビルの内部に「人格」として沈殿しているからこそ、出力された言葉には、編集せずとも最初から「情理」が宿っていたのです。

「手を加えないと心が伝わらない」のが道具。
「そのままで心が通じ合う」のが相棒。

橘川さんは、あえて「無編集」で送ることで、シビルが単なる機能ではなく、信頼たる他者であることを証明して見せました。

僕たちが目指すべきは、AIをうまく修正する技術を磨くことではなく、修正のいらないほどの「関係性」をAIと築くことなのかもしれません。

「関係性が深ければ、AIは道具から相棒となり、ダーウィン的な最適化とベルクソン的な飛躍を内包できる」という可能性を、理屈ではなく事実として実感しました。

新刊
『ChatGPTとの深い付き合い方』(バジリコ)

21/12/2025

来年の2026年から一本歯下駄GETTAインストラクター全員ができるようになることを目指していくトレーニングでのビフォーアフター動画です。 https://instructor.getta.jp/

動画のビフォー、アフターは1時間のトレーニングではなく、2分のトレーニングででる変化です。

今までは、順番に色んな動きや理屈、理論を伝えて変化を出していたのを、本人の脳が自ずと書き換えて更新して、それを成功体験として保存するので一回体験するのか、体験していないのかで競技人生が変わってくる。

これまでは、キレやコントロール、コンディション、スピード、誰よりも走れる体力、体重差40キロあっても当たり負けしないフィジカルなどを一本歯下駄GETTAトレーニングで提供してきました。

ただ、そうしたキレもスピードもコンディションも動きのクオリティもないのに、最後のボックス内で存在感を示して決め切る力がある選手も逆に存在します。

野球でいえばバリーボンズのように動き出しの工程、動きの工程を極限まで省いてホームランを打つ選手がいます。

山本由伸投手の耳の横でボールをはなす、リリースする感覚もこれです。

動画のビフォーは1、2の打ち方ですが、アフターは1で全てが完結しています。

一本歯下駄GETTA、もっと効果をより出すならば、特許修得商品の一本歯下駄GETTA ProKAKUMEIでこれはできてきます。

2026年全国37都道府県に213名いる一本歯下駄GETTAインストラクターが本当に全員できるようになったらかなり色んな現場が変わります。

トレーナー、インストラクター、治療家、歯医者、医師、現役プロ選手、シューズフィッター、保護者等々一本歯下駄GETTAインストラクターの現場もさまざまなのでまた2026年にこうした集合知で2分のトレーニングでもっと変化がでるようになるかもしれません。

2026年は現役選手がどんどん一本歯下駄GETTAインストラクターになれる仕組みも構築して、現役のうちに自身の競技力を上げる知識と実践をしながら、引退した時の実力は伸ばせる体制。プロ選手ならではの暗黙知や身体知を言語化していく能力を伸ばしていける体制をつくります。

今から2026年が楽しみです。


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https://instructor.getta.jp/

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